水戸地方裁判所 昭和38年(わ)158号 決定 1963年10月15日
被告人 M(昭二〇・六・一五生)
H(昭一九・七・一七生)
K(昭二一・三・一三生)
主文
本件を水戸家庭裁判所に移送する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人M、同H、同Kは、いずれも少年であるところ、
第一、被告人Mは昭和三八年○月○○日午後八時五〇分頃水戸市○○町○区○○○○番地○野屋こと横○菊○方裏空地において、同店々内より連れ出した同店々員横○○美(当一五年)に対し、いきなり同女の前側からその体に両手で抱きつく等の暴行を加えたうえ、同女に接吻し、もつてわいせつの行為をなし、
第二、被告人M、同HはY外三名と共謀のうえ、同年○月○○日午前二時頃、同市△△二丁目○○○○番地附近路上において、同所に駐車中の株式会社○家水戸出張所(所長松○富○)所有の普通貨物自動車内より、右松○管理にかかるチョコレート二七六枚、ビスケット大箱二箱(時価合計一三、六〇〇円相当)を窃取し
第三、被告人M、同H、同Kは共謀のうえ、婦女を姦淫しようと考え同年○月○○日午後一〇時過頃、同市××町○○区○○交通バス停留所の十字路附近においてその幾会を窺いながら過すうち、同日午後一〇時四〇分頃たまたま、バスを降りて右停留所の十字路を○○大学正門方向へ暗がりの道路を単身歩行する○山○子(当二一年)の姿を認め、折柄辺りに人影がないのを幸い、強いて同女を姦淫しようと企て、直ちに被告人Hが同女の跡を追いかけ、同町○○区○○○○番地○井○二方前路上において、同女に追いすがり呼びかけたところ、これに驚いた同女が大声で助けを求めるや、矢庭に手で同女の口を押さえ、あるいは逃れようとする同女の体を抱きかかえ、一方被告人Kにおいて同女に対し「静かにしろ」と言いつつ、その胸元に所携の刃渡り約一三糎のクリ小刀を突きつけ、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女が必死に抵抗したため、遂にその目的を遂げなかつたけれども、そのさい被告人Kが前記クリ小刀をもつて同女の右胸部を突き刺し、同女に対し全治まで約四ヵ月を要する右胸部刺創の傷害を負わせたものであるが、右の各事実は当裁判所において取り調べた各証拠を総合してこれを認める。
被告人Mの第一の事実は刑法第一七六条、第二の事実は同法第二三五条、第六〇条、第三の事実は同法第一八一条(第一七七条、第一七九条)、第六〇条に、同Hの第二の事実は同法第二三五条、第六〇条、第三の事実は同法第一八一条(第一七七条、第一七九条)、第六〇条に、同Kの第三の事実は同法第一八一条(第一七七条、第一七九条)、第六〇条に各該当する。
それ故、ここで本件各被告事件につき被告人等を果して刑事処分に付するのが相当であるかどうかにつき考察する。
特に本件の強姦致傷は、夜間一人歩きの女子学生を襲つたものであり、幸い姦淫は未遂に終つたものの、本件が新聞紙上屡々報道される非行少年による卑劣な輪姦事件に発展する可能性をもつ極めて兇悪な事件として一般社会に多大の不安を与えた一面、被害者は右胸部刺創によつて肋膜をも損傷し、昭和三八年六月一五日一応退院したが、全治まで約四ヵ月の日時を要する重傷を負い一時は生命の危険にさらされるなど、その傷害の部位程度の重大さ、被害者家族の感情、なお一般社会に与えた影響など彼此これを考慮するときは、被告人等の右犯行はまことに許し難いものというべく、単なる不良少年の非行として宥恕し、これを看過することはできないものと考えられる。そこで被告人等の要保護性につき考究するに、本件事件記録並に少年調査記録によれば次のことが認められる。即ち
(一) 被告人Mはもと畳業を営む父大○と母ふ○との間の五人兄弟姉妹の四番目として出生し、昭和三六年三月水戸第○中学校を卒業後、木型工、ベアリング仕上工、鉄骨組立工と職を転々したが、その間、さしたる不良交遊はなく、もとより今日まで保護処分を受けた前歴もないが、殊に本件強姦致傷の犯行は同被告人が相被告人H、同Kを誘つて犯行現場附近に到り、その幾会を窺うなど、自ら終始主動的立場で行動し、直接被害者に暴行を加えてはないにしても、右H、Kが被害者の跡を追いかけた背後にあつて、その様子を看視しており、たまたま右Kがクリ小刀で被害者の胸部を突き刺した直後、同人等に近づくや同人等より被害者を突き刺した旨を知らされて共にその場から逃走した経緯が認められる。しかし鑑別所入所当時同被告人には特に目立つた反則的な行為はなく、反省内省的な態度も見受けられないようであるが、鑑別結果によれば、同人は情性欠如型の性格保有者であつて、精神病質の疑いがあり、社会規範の意識も低く、道徳的な感情が半ば鈍麻しているのでその処遇上、活発な助言指導を通じてラポートをつけ、生活指導特に情操面の教育を重点的に行ない、正常な人間関係の確立をはかり、情的交流を高める必要があることが窺われ、年齢わずかに満一八歳の少年であるなど、これに対し確かに矯正教育の必要があると考えられるのみならず、その余地もまた存しないわけでもない。
(二) 被告人Hは不動産売買業を営む父星○雅○こと○基○と母コ○との間の四人兄弟姉妹の二番目として出生し、○○大学教育学部付属中学校から東京都江戸川区○○第○中学校へ転校することになり、母の許を離れて東京都内に別居していた実父の許に身を寄せ、同校を卒業後東京都立○○高等学校に入学し、当初は真面目に通学していたが、漸く思春期を迎えるや、家庭の事情、境遇、環境等の影響から極端なノイローゼにおちいり、中学時代にひきかえ学習意欲を欠き欠席がちとなり、次第に学力も低下する有様で、昭和三六年四月遂に学業を放擲し、茨城県下の実母の許に戻つて無為徒食の生活を送るうち、昭和三八年一月一一日類破瓜病の疑いで石○病院に入院し、いわゆる破瓜病の初期と診断されて治療中、同年三月一五日家庭の事情からやむなく治療半ばで退院したものの、その後の経過が思わしくなく、同年四月一九日大○神経科水戸診療所において再び診察を受けたところ、破瓜病類似の分裂病と診断され、入院加療をすすめられていた矢先、本件強姦致傷の犯罪を敢行するに至つた経緯並びに水戸家庭裁判所医務室技官の診査の結果によれば、同被告人は分裂病質の高度なもので、変質性精神病の疑いもあり、精神病院に収容するのが適当であることが認められ、そして外界からの刺戟誘引を抑制できない性格の持主である旨の鑑別結果や、特に右犯行においても満一八歳の最年長の少年でありながら、自らは主動的立場になく、むしろ相被告人Mに誘われるまま、本件を犯すに至つた点などを合わせ考えてみると、同人に対し適当な保護処分に付するのは格別、刑事責任を追求するのが果して本人の更生に資する所以であるか、極めて疑問といわざるをえない。
(三) 被告人Kは、もと建具職であつた父宗○と母フ○との間に姉二人に次いで長男として出生したが、幼少の頃父母が離別したため、姉○子、妹△子と共に実母の許で成育し、昭和三六年三月水戸市立第○中学校を卒業後、総合職業訓練所、自動車整備科に入所したけれども数ヵ月にして気が進まぬまま退所し、日立市でプレス工となり、同年一〇月頃やめて上京し、一年数ヵ月に亘り東京都、小田原市などの喫茶店を転々し、バーテンとして働いていたが、その間昭和三七年一月九日恐喝、同未遂事件で水戸家庭裁判所において審判不開始となり、その後睡眠薬をたしなむようになつて昭和三八年二月八日横浜家庭裁判所小田原支部において傷害事件で水戸保護観察所の保護観察に付されるなど非行歴を有し、その保護観察中、別段就職もせず実母の許で無為徒食の生活を送つていたものの、交友関係にはさして不良ときめつけるほどのものもないが、本件強姦致傷の犯行当夜、クリ小刀を携帯し、相被告人M、同Hに遇うや、Mに誘われるまま同人等と行動を共にし、極力抵抗する被害者に対し、右兇器をもつてその胸部を突き刺し、本件を敢行するに至つたことからみると、その非行危険度はかなり高度なものが窺われ、ある程度非行性の固定化が認められる一方、鑑別所入所当時は所内の規律に順応して、単独処遇、集団処遇共に比較的に経過は良好と認められ、そして精神障害もなく、その性格は自己顕示性が強い反面、素直な面も見受けられ、また特に処遇上個別指導により、内省的な態度を養わせると共に集団指導を通じて集団との連帯感を高め、協調的な態度を養わせることが必要であるとの鑑別結果並びに同被告人は年齢わずかに満一七歳の年少少年であり、その家庭の事情、境遇、環境等諸般の事情を総合し、考えてみると、同人にも未だ矯正教育の余地がないとは思われない。
以上説示のとおり、思慮浅薄にして感受性の強い被告人等においては、未だ社会不適応の傾向並びに非行性の固定化が極度に進行し、最早要保護性がないというわけでもなく、それと少年の健全な育成を期し、非行少年に対し、性格の矯正及び環境に関する保護処分を行うことを目的として保護教育主義の建前をつらぬいている少年法の精神に鑑み、そして本件が極めて兇悪重大な事件ではあるけれども、今や被害者の傷も一応治癒して、学業を続けるに支障ない程度に回復し、また被告人等は前非を悔いて将来の更生を誓い、被告人等の家族においても、責任を痛感し、被害者に対し見舞金を贈り慰藉の誠意を示していることなどから考え、このさい、被告人等に対し、応報的な刑罰を科する刑事処分をもつて、これに臨みその責任を追求するよりは、むしろ、被告人等を適当な保護処分に付し、情操教育等然るべき矯正教育あるいは医療を施すなどして、その更生と健全なる育成をはかることが相当であると思料されるので、少年法第五五条に則り、本件を水戸家庭裁判所に移送することとする。よつて主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 高野平八 裁判官 伊藤敦夫 裁判官 武田平次郎)